こんにちは、【 ゆるスピブログ 】にご訪問いただきありがとうございます。
今日は朝からお気に入りの神社に訪問して気持ちが穏やかな月乃 愛です。
今日は、昨年亡くなった私の母について書いていきたいと思います。
正直、まだまだ思い出したら泣いてしまうこともある位で、きちんと母の死を受け入れられている訳ではないのですが、無理に受け入れることもないのかな~と最近思うことができるようになってきました。
そもそも親の死、母親の知ってスピリチュアル的にも運気的にも大きな意味がいることを知っていましたか?
今日はそこらへんも含めてじっくり書いていきたいなと思っています。
同じく母親や大切な方をなくしたあなたに少しでも気持ちが届けばいいな。無理しなくていいんですよ。
母親の死が持つスピリチュアルな意味
スピリチュアルな視点では、人の死は「終わり」ではなく、魂の旅の新たなステージへの移行だと考えられています。
そして親の死は【 親から子供への最後の教え 】だともいわれて、なかでも「母親の死」は、私たちの魂にとって特別な意味を持つ出来事だといわれています。
具体的にはこの4つ
- 魂の契約の完了
- 自立と本当の自分への目覚め
- 見えないところからの見守り
- 感謝と手放しのタイミング

一つずつ見ていこう!
① 魂の契約の完了
スピリチュアルな世界では、私たちは生まれる前に「魂の約束」を結んでこの世に来るとされています。母親との別れは、ふたりの魂が今世でのお役目を全うしたサインだと捉えることができます。
あれもしてあげたかった、こう言ってあげればよかったなど母親の死には後悔がつきものですが、あなたの母親はすべて分かって大丈夫だよと言っているのかもしれませんね。
② 自立と本当の自分への目覚め
母親という大きな存在を失うことで、私たちは初めて本当の意味で「自分の足で立つ」ことを促されます。深い悲しみの中にも、魂レベルでの成長の種が宿っているといわれています。
母親が亡くなったことで、自分の中に何か気づいたり変化したりしたことがあるときは、それがこれからのあなたの人生を照らしてくれるヒントになるかもしれません。
③ 見えないところからの見守り
肉体はなくなっても、魂はそばにいる——多くのスピリチュアルな教えに共通するのはこの考え方です。夢に出てきたり、ふとした瞬間に母親の気配を感じるのも、偶然ではないのかもしれません。
母親が亡くなったときは喪失感でいっぱいかもしれませんが、徐々に【 肉体が亡くなっただけで魂はそこにある 】と言われるように、見えないところからでもあなたを見守ってくれていることに気付くでしょう。
④ 感謝と手放しのタイミング
母親の死は、これまでの関係性——愛情も、葛藤も、言えなかった言葉も——すべて受け入れ、手放していくプロセスの始まりだとも言われています。それは決して冷たいことではなく、魂同士の深い愛の形です。
母親が与えてくれたものをあなたもまた繋いでいく。そんなあなた自身の魂レベルが上がる段階です。
【 母親の死で新しく縁がつながることもあるでしょう。そのご縁はあなたを守ってくれるかもしれない。大切にして下さい 】
これは母のお葬式の時に僧侶の方がお話ししてくださった中でもとても印象に残っている言葉です。
私に母の死が教えてくれた事4選
少し母の事を書かせてください。
私の母は、料理上手な人でした。専業主婦で家に帰るとお帰りと迎えてくれる母でした。
運動も大好きでママさんバレーをしたり、兄のボーイスカウトのキャンプについていってお手伝いしていたほどです。
そんな母の人生をガラリと変えてしまったのは平成7年1月17日に起きた阪神淡路大震災でした。
当時、私たち家族は兵庫県の伊丹市という場所に住んでいたのですが突如激しい揺れに襲われ住んでいたマンションは半壊、物は錯乱、水を汲むために並んで5階まで階段で登ったり、小学校に配給を受け取りに行く生活がしばらく続きました。
そんな生活も落ち着いてきた頃、母親の体に異変が起こり始めました。
喉に違和感を覚え病院に行くもなかなか原因も見つからず、その間に体の他の部分にも違和感を感じるようになってしまいました。
結局わかったことは、地震の時に何か変なものを吸い込んだんじゃないかということ。後に国指定の難病の病名が告げられました。
その後も心臓などに疾患が見つかり手術をしたり、大量のステロイドが手放せない入院生活が始まりました。
昔から美人と言われ、おしゃれが大好きだった母。
ステロイドによってむくんでいく自分の顔を見るのが母自身も私たち家族も見ているのが辛かったことを覚えています。
それでも母が生きていてくれてよかったと心から思っていました。
そして母にとっては入退院を繰り返す辛い闘病生活、、父にとっては小学生二人と未就学児の妹3人の子供の生活を一人で背負うことになり目まぐるしく変化した生活、そして私達子供達にとっては突然の母親のいない生活が始まりました。
母がいなくてさみしかったし、父は子供の世話や仕事で大忙し、それでもなんとかそれぞれが頑張って母の病気も少しずつマシにって家で生活できる期間も増えてきていました。
それからは入退院や手術を繰り返しつつも、私たちも成長し暮らしも落ち着いていきほっとしたのを覚えています。
その後、元気を取り戻し、夢だったパン教室を自宅で開くまでに回復した母でしたが、年には勝てずにまた病気が発症し入退院を繰り返す生活が始まり、70歳で亡くなりました。
人生の半分が病気と闘っているようなそんな母の人生でしたが、母の死は私に多くのことを教えてくれた気がします。
はっきりと意識が変わったんですよね。
変わったり気づいたりしたことはたくさんあるんですが、今回はその中でもとくに大切に思うことを4つ抜粋してお伝えしますね。
- 人の時間は無限ではない
- 小さくてもいいからしたいことをしよう
- 自分を大切にせよ
- 友達は多さじゃない



人生ってあっという間。
近い人の死は色々考えさせられます。
ちょっと補足していきますね。
母の死が教えてくれたこと① 人の時間は無限ではない
母の死からすぐにお通夜が行われ、次の日にお葬式。
あわただしく時間は過ぎ、火葬場についてから約3時間ほどで母は骨になってしまいました。
スタッフの方が骨や納骨の説明をしてくれるのを聞きながら「 あぁ、人間ってこんな簡単に灰になってしまうんだなぁ 」とぼんやりと思ったのを覚えています。
「 本当に人ってあっという間に骨になってしまうんだな。明日からまた私たちは日常を送らなければならないんだな 」と。
人として生きられる時間は本当に有限ですね。もう少し、自分と向き合って日々を大切に生きたいと思いました。
母の死が教えてくれたこと② 小さくてもいいからしたいことをしよう
母は人生の半分以上闘病生活でした。
私達には想像もつかないくらい辛い日々も多かったと思います。
しかし、いつも何かしたいこと、好きなことをうまく見つけていた気がします。
- パン作り
- 裁縫
- 父と散歩してコーヒー飲む
- 藤井風
- ブログ
これらは私の母が好きなものの一部。
しんどい日も多かったと思いますが、気分のいい日を見つけては美味しいパンを焼いてくれたり、私の娘の入園グッズを作って送ってくれたり、私が昔から文章を書くのが好きでブログを書いていたら自分も書いてみたいと言い出してそれ以降ずっと書き続けていたり。
体調がいい日に父と散歩するのも好きでしたね。
コンビニでカフェオレを買ってベンチで飲んだり、カフェでお茶したり。
好奇心旺盛な母でした。少しでも楽しくなるようなことを意識して見つけていたような気がします。
見習いたいです。
そうそう私、実は母が【 藤井風 】さんが好きということは、母が亡くなる少し前に私の娘とメールで好きなアーティストの話をしているときに知ったんです。
藤井風さんのお名前だけは知っていたんですけど、実際に音楽を聴いたことはなかったのですが母が亡くなった後に聞いたらはまってしまいました(笑)
風さん本人が結構スピリチュアルな方で、考え方が素敵な方ですね。母が教えてくれなければ聞くことはなかったかもしれない。聞きなさいって教えてくれたのかなと思います。置き土産ですね。



藤井風さんの【帰ろう】って曲知ってます?彼の死生観を歌った曲なんですが、とっても心にしみます。大切な人を亡くした時や思い出したときに是非聞いてみてください。
母の死が教えてくれたこと③自分を大切にせよ
自分を大切にすることは人を大切にすることでもある。
母には昔から何回か「あんた、まず自分を大事にせんとあかんで!」と言われきました。
自分を大切にできないと本当の意味で人を大切にできないって事だと思うんです。
うん、分かってはいるんですが、イヤイヤ期の子供と本気でギャーギャー言い合ったり、旦那とのすれ違いも「私さえ我慢すればうまく収まるか・・」などと考えながら暮らしているとすっかり忘れてしまう日々が続いていました。
でも今回、母が亡くなってお葬式でお経を聞いている時になんだかそのことが頭にふっと思い浮かんできて、最近の暮らしの中で自分が相当無理していていたこと、心身ともに結構限界に近かったことに気が付くことができました。
ぎりぎりの所で母は救ってくれたんだと思っています。
母の死が教えてくれたこと④ 友達は多さじゃない
私も母もあまりコミュニケーションが得意なほうではなく( リアルにママ友0人の私(笑) )、地元から離れた場所に嫁いでいることもあり、友達と呼べる人なんているのかな?状態な訳なんで、母の希望もありお葬式はこじんまりと家族葬で行いました。
たくさんお葬式に友人や知り合いの方々が来てくれて盛大に送られる方ももちろん素敵ですが、私は母にはこのこじんまりしたアットホームなお葬式がとっても似合っていてよかったなと思ったんです。
母の遺体の前に座りながら兄弟や父と母との思い出を話したり、時には爆笑したり、母の大好きだったコーヒーを供えてみたり、孫たちで母への手紙を書いてくれていたり。
最後の別れをみんなでゆっくりすることができて、とてもうれしかったです。
母も皆のことを上から眺めながら幸せだろうなと思いました。
そうそう、家族葬ではあったんですが、母の小学生時代の友人が2名来てくださったんですよ。
凄いですよね。
数は多くないけど、家族と本当に大切な人たちを大事にしてきたんだなと思いました。
どっちが幸せとかじゃないですよね。人それぞれの幸せ。
自分軸の幸せを見つけることが大切ですね。
最後にまとめ
今回は、母の死で私が気づいたことや感じたことを自由に書かせていただきました。
親、特に母親の死はスピリチュアルな意味でもとても大きな意味を持つことですが、実際は母親が亡くなったときやその後に何を感じるかが一番大切なんじゃないかなと思いました。
きっとあなただけが感じることがあるはずです。
亡くなった後は、私達は再びあわただしい日常に戻らなくてはいけませんが、それでもたまにふと故人の事を思い出してみてください。
その時の思いや感情は、その時のあなたに必要なことを教えてくれてくるのかもしれませんよ。
まだまだ母の事を思い出すと目頭が震えだしちゃうときもある私ですが、日常で「母が見守ってくれているな」と感じる瞬間も増えました。
ありがとうと言いにまた近々実家に行きたいと思います。
皆さんも、大切な人には大切だと伝えましょうね。ありがとうと。人生は有限です。


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